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7-02 命

「いつ会えるかわからんが本当に一度こっへ来い。命の尊さを実感できるぞ。
 そういう経験はお前の仕事にだってきっと役立つはずだ。
 本当に来い、歓迎してやる。その気になったら連絡しろ」


7th-02話「還流~悪意の不在」


先週の続きのお話です。


やー、面白かったようー。
いやあ、容赦なく瀬戸内さんを捕まえてくれちゃいました。
劇場版の「犯人は誰だ」みたいな予告を見たときは「こん中で瀬戸内・雛子・鹿手袋・陣川・武藤弁護士は無いだろwww」と笑ってたわけですが、今回もそのノリで見てたらひゃー、と。驚いたとかショックとかいうよりは、味方キャラでも油断できねーなー『相棒』と、そんな心境でした。

さて。
瀬戸内は例え寄付に回そうと、犯罪を行っている事には変わりないのだからと後ろめたい気持ちは抱いていて欲しいと小笠原にはそのことは伝えず、小笠原は小笠原で、犯罪であると理解していたから瀬戸内に累が及ばないように脅迫者を始末する事を決め自分一人の責任として背負うために瀬戸内にも伝えず口をつぐみ続けた。
瀬戸内も兼高も(行動を見る限り小笠原も)「坊っちゃんのような」無鉄砲で(でも、「坊っちゃんほどおぼこくは無く」)、それが故に取ってしまったとんでもない行動。
今回のすれ違いは、ボランティアに従事するが故に瀬戸内や兼高が感じたであろう腐敗した政府に対する圧倒的な「駄目だこりゃこれじゃ何やっても変わんねーよ」という絶望と、瀬戸内も小笠原も(おそらくは兼高も)自分のやっていることがまぎれも無く犯罪であるという事を理解していた、皆が皆同じ気持ちを抱いていたが故に起きたのではないかと思いました。

そして、ぶっちゃけ

「悪党の上前を撥ねようとして自分も犯罪に走り、次々と失敗していく」

っていう今回の話は物凄い猛毒だと思います。
ボランティアだ支援だ命だと言ってるけど(そして間違いなくそのことは真摯に伝えようとしているのにもかかわらず)、それと同じくらい埋伏されているシニカルさ。
これよこれ、この『相棒』の毒待ってましたーと喜んでる自分はちょっとやばいですかw 
『相棒』中毒患者ですw

瀬戸内さんが仙人のようだと評し師と仰いでいるNGOの代表の織本順吉さんがいい味出していました。もっともっと悟ってるような俗っぽいような発言をしてくれー。

ところで実は、1話の情報が出たとき自分はご多分に漏れず「もしや亀山は友人の志を引き継いでNGOになる卒業!?」とかどぎまぎしてたんですが、『刑事マガジンvol.6』での松本CPのインタビューの「1話、2話の内容は卒業に関係ない」という話やらこの2話での兼高からの手紙の内容で、その方向はないのかも、とちょっと安心したり(まだ油断できなかったり)してたのでした。
というのも、たしかにNGOの仕事も立派なんだけど、『相棒』は刑事ドラマで、例え亀山が始めはスポーツ特待生からなんやかんやで警官になったんだとしても、特命に飛ばされ右京さんと出会って、日本の警察にも日本の警察の仕事がある、警察になら出来る事・警察にしか出来ない事・警察がやらなければならない事があるというのをやってきたのがこの8年間なんじゃないかと、だから例え警察を辞めざるを得ない卒業になるんだとしても、特命で警察でやってきた事と繋がってる道を選んで欲しいと、初回の2週SPの内容次第ではあるものの、突然NGOで海外ボランティアっていうのはあまり「今まで」とは繋がってないんじゃないかと、だからそういう方向は出来たら嫌だなあー(でも亀山はそういう道似合いそうなんだよなあ~)と思っていたんですが、兼高からの手紙の「そういう経験はお前の仕事にだってきっと役立つはずだ」という文で、ああ、兼高わかってんじゃん! とまあ、そんな風に安心したりしたのでした。

ラストの亀山の涙はさすが寺脇さん! という泣き顔っぷりでした。
そして学校から出てきた兼高の奥さんの同じような泣き顔を見て、もしかしたら兼高は、自分が亀山に「こっちに来い」と話したように、兼高も奥さんに亀山の事を話してたんじゃないか、日本に亀山っていう学生時代からの友人がいて、親友って言うわけじゃないけど何かウマが合って、棒切れ振り回してたあいつが今は警察官になっていて、一度こっちに来てみないかって誘ってるからもし来ることになったら迎えてやってくれ------。亀山がサルウィンへわざわざ出向いたのは「奥さんに事情を説明する」ただそれだけではなく、兼高が「来い」と誘っていた現地に行きたかった、この目で見てみたかったという気持ちもあるからだと思います。それと同じように、兼高の奥さんも夫の日本からの友人を迎えたかったんじゃないか、夫と、自分と、たくさんの子供たちとで夫の友人を迎えたかったんじゃないかとか、そんなことを思いました。
亀山にとって、サルウィンと兼高の妻と子供たちが兼高の活動の象徴であるように、兼高の妻にとっては、日本から来る夫の友人を迎える事が、夫や自分の活動の象徴だったんではなかろうかと。

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