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6-01 信頼

「人を裁くなら、覚悟すべきです」

6th-01話「複眼の法廷」


そんなわけで、待ちに待ったシーズン6が始まりました。
そして、初回から濃いこと濃いことw 1話目のSPでこんな話をやられちゃうとうかつに「最近『相棒』は視聴率狙いの一般受けのよさそうな見た目派手でニギヤカなキャラネタ話が増えた」とか非難出来ないじゃないですか(笑)。むしろ「い、いや、初回なんだしさもちょっと視聴率稼ぎに走ってもいいんだよ?」とかこっちが心配になる勢いです(というか、余計なお世話ながらリアルで心配した)。相棒最高!

(10月30日またちょっと微修正。最後のあたりを)



なかなか面白い視点から裁判員制度が描かれているなあと感じました。

話の比重としては、CM入れて1時間54分中1時間50分【*1】がネタ振りというか、本当に描きたかった部分はラストの右京さんと三雲判事とのやり取りで、そのやり取りを、この2人がどんな立場や考え方から何を喋って何を問題に争っているのか、誰もがちゃんと理解できるレベルに持っていく為の実に丁寧な1時間50分の下準備という印象で、扱っている内容こそ堅苦しいは取っ付き難いはの一見さんお断り仕様でしたが、それでも、新規さんやときどき『相棒』を見ているなあってぐらいな人にも、普段『相棒』でやってるようなこと(=警察内部犯のゴタゴタ)や右京さんのそれに対するスタンスの最低限な部分は理解できるように情報提示されていたのではないでしょうか。
ぶっちゃけていうと2つの殺人事件は「『相棒』でいつもやってるアレ」と「は ぐ れ 死【*2】」という、非常ににわかりやすい事件になってましたが、特に先の方の「『相棒』でいつもやってるアレ」はこれまでの事件を連想させられる【*3】パーツで組み合わさった「小『相棒』」という感じでしたし、新規さんでもコアな『相棒』ファンと瞬間的に同じ立ち位置に立てるようには仕向けてあるという(もちろん今回描かれてたことだけが全てではないですが)、そういう意味ではあれはあれで初回向けの内容でもあったのではないかと。初心者でもついてこれる人には優しいぜ、というツンデレ仕様ですか(笑)。

【*1】
正確には右京さんと亀が三雲判事に田部井ちゃんに送ったメールについての件を話し始めるあたりからENDまでは5、6分ぐらいはあったっぽいので1時間48分かそこいらぐらいなんでしょうが、たいして変わらんですわなw
【*2】
殺すつもりはなかったのにもみ合ってるうちに殺してしまった、というような感じの過失致死。ネーミングの由来は『はぐれ刑事純情派』から。ぐぐれば詳しい定義のコピペがでてくるはず。
【*3】
銃器摘発のノルマ達成活躍の為の不正 →土ワイ01話目「刑事が警官を殺した!? 」
警官殺し →色々連想する話はありますが、3rd-15話「警官殺し」等
塚原への取調べ →4th-09話「冤罪」
恥を知りなさいッ!! →4th-21話「桜田門内の変」

などなど。


事件自体は「よくあるパターン」「ドラマ的に怪しい人がそのまま犯人」というシンプルなものではありますが、そこで描かれている事象こそが話のメインなので、少し整理してみます。

■事件と犯人

 ●銃器摘発捏造・速水巡査部長殺し・証拠品捏造→辰巳隆一郎【刑事】(堀部圭亮)
 ●自白の強要・裁判員への被害者情報漏えい→有働正【刑事】(松澤一之)
 ●赤川裁判員殺し→田部井裕子【記者】(宝生舞)
 ●マスコミへの裁判情報漏えい→倉品翔子【裁判員】(田中美奈子)
 ●田部井裕子への裁判員情報漏えい→三雲法男【裁判官】(石橋凌)

正確には三雲判事には証拠がなく右京さんが疑っているだけである、という段階ですが、おそらくは彼が犯人なのであろうという前提で話を進めます。
作中では自白の強要が法的に立証されたわけではなく、倉品裁判員に情報を漏らしたことも監察官に呼び出されたというところまでの松澤一之さんの刑事さんも犯人とはっきり呼んでいいのかは微妙なラインのような気もしましたが、両方ともその犯行現場自体は作中で描かれていましたので、黒と扱うことにしました。

話の流れにあわせてそれぞれの作中の役割を考えるとわかりやすいかな。

【刑事】は自分の犯罪がばれたがゆえに警官を殺し
 ↓
【刑事】は無実の人間を違法な取り調べで自白の強要をし
 ↓
【刑事】は証拠品を捏造し
 ↓
その裁判で【裁判官】は裁判員の情報を【記者】に漏らし
 ↓
その情報を利用した【記者】は過剰な取材によって裁判員とトラブルを起こし死に至らしめ
 ↓
その結果生まれた新たな被害者関係者が【裁判員】となったため【裁判員】は自分に有利な判決を導こうとマスコミに裁判情報を漏えい
 ↓
マスコミはその情報をスクープとして掲載
 ↓
マスコミの報道から他の裁判員に影響を与えることは出来たものの、自分の情報漏えいも疑われたため完全に思い通りとは行かず
 ↓
【裁判員】は【刑事】に情報をもとめ
 ↓
【刑事】は情報を漏らすが
 ↓
その情報から【裁判員】と【刑事】のつながり、【刑事】と【刑事】のつながり、【刑事】と殺された警官のつながりが芋づる式に発覚し、警官殺しの犯人逮捕へと結びつき
 ↓
【記者】の逮捕から【裁判官】の情報漏えい疑惑が発覚する


あまり上手くはまとめられてませんが、こんな感じかな? 
「裁判員制度」を舞台に、それぞれの役割の人がそれぞれの役割の中で「やってはいけないこと」を大なり小なり行っていくという実にチャレンジングな内容になっていると思います。

ところで私、今度の『相棒』の初回SPでは「裁判員制度」を取り上げると聞いて、てっきり「シロかクロか、有罪か無罪か、物事には色んな視点からの見方があって、証明って難しくて、裁判って難しいな、やられたー」みたいな話になるのかなあと思っていたのですよ。でも、考えてみればそんな話は既に4th-09話の『冤罪』で既にやってるんですよね。「推定無罪?」「立証責任?」そういう話は「裁判」の話であって今現実にこの日本でもうすぐ導入されようとしている「裁判員制度」の話ではないと、社会派の『相棒』らしく、「社会的な問題としての『裁判員制度』」、それが今回のテーマでした。

で。
今回の話で、「社会的な問題としての『裁判員制度』」を語るため、

 【警察】 【マスコミ】 【裁判官】 【裁判員】 【被告人】 【被害者遺族】

が物語の構成パーツとして使用されていたと思います。
現実ならそこに【被害者】や【弁護士】【検事】なんかも混ざってくるんでしょうが、【被害者】は死亡している事もあって【被害者遺族】にほぼ吸収合併、「裁判」についての話じゃないよ、ということで【弁護士】【検事】は完全に排除されていました。「シロかクロか」なんて話はやらないよ、ということなんでしょう。

このうち、【警察】【マスコミ】は裁判に影響を与える外的要素として描かれていたと思います。最悪の要素として。
今回の警官殺しの裁判は、スタートの殺人事件自体から強要された自白、被告人、捏造の証拠品と、裁判の舞台に持ち込まれたもの全て【警察】が生み出したものであり、その裁判の模様を不特定多数に伝達する役目を持った【マスコミ】は過剰報道により新たな殺人を生み出してしまいます。

プロである【裁判官】とシロウトである【裁判員】も、それぞれの役割のなかでの「やってはいけないこと」を犯しています。
倉品裁判員は【裁判員】要素だけでなく【被害者遺族】要素も兼任していましたが、どんな考えを持ったどんな一般人が混じるかわからない「裁判員制度」の上においては、倉科裁判員と殺された赤川裁判員ほどの関係ではなくとも、選ばれた【裁判員】の例えば友人知人や親戚が、自分が【裁判員】として参加する裁判と同じような、あるいはよく似た事件の被害者だったりしたら? そうして、【裁判員】として選ばれたことを倉科裁判員と同じようにそれを「運命」だと感じてしまったら? 自分の縁者が遭遇した事件の時に感じた歯がゆさを「分けて考えることなんて出来ない」と、行動したとしたら? 【裁判員】としての倉品翔子の役割はそんな危険性を示唆しています。
プロの方の【裁判官】の方はもっと巧妙でした。なんせ、本当に情報を漏らしたのが【裁判官】なのかどうか不明なのですから。状況証拠と動機があって否認もしていないのですから、疑わしいといえば疑わしいですが、だからといって彼を完全に犯人扱いしては「警察はこうやって冤罪を作る」そのままになってしまいますね。でももしかしたら、そういうことを行う【裁判官】も現れるかもしれません。三雲判事の「動機」のようなものではなくとも、nyで捜査資料が漏れたりする世の中ですから。

ここまでが、「信頼の崩壊」の話だったと思います。
「裁判員制度」に関わりの深い立場の人がことごとく自己の利益を優先させ、「やってはいけないこと」を行ったが故に連鎖的に警官殺しの裁判が崩壊していくという物語。

さて、非常にわかりやすく描かれていましたので、視聴者の多くの人の目には、「塚原は多分冤罪なんだろうなあ」という様に映ったのではないかと思います。そう見えて『相棒』だから裏切りがあるかも、と疑った人にも、少なくとも「塚原は冤罪であるかのように見えるように描かれている」とは思ったことでしょう。事実、塚原は冤罪でした。それが今回の【被告人】です。

【被害者遺族】は右京さんも言うとおり、倉品裁判員です。裁判員として塚原に死刑を求めるていたその姿は、【被害者遺族】の本音そのものなのではないでしょうか。
もちろん世の中には色々な【被害者遺族】がいて色々な関係があるでしょうから、悩み苦しんだ末に犯人の反省している様子を見て許そうと思えるようになったという人も、被害者との関係が悪く犯人に対しては殺してくれてありがとうとすら思っているというような人も、被害者も犯人もどちらも大切な人間だったというような人もいるのかもしれませんが、「大切な家族が殺されて、他人の犯人は反省もせず」という時、いえ、例え「犯人が反省をしていても」、やっぱり犯人憎しという気持ちはなかなか消せないのではないでしょうか。

つまりは、さまざまな偶然や因果関係から「冤罪の【被告人】に対して【被害者遺族】が死刑を求める」という実に凶悪な裁判になっていたということになるんですが、この「冤罪の被告人」「被害者遺族感情」、この二つは今回のテーマとして取り上げられている「裁判員制度問題」の中の一番の本質的な問題点に帰納させることが出来ると思います。というか、「裁判員制度」導入にあたって色々問題はあるけれど、結局はこういうことでしょ、と指摘しているんじゃないかといいますか。

最高裁判所・裁判員制度のサイトには、「導入の理由」に

「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。」

と書かれています。
法務省・あなたも裁判員! のサイトの方では、「Q2 なぜ裁判員制度を導入するのですか。」という質問に対して

「裁判員制度の導入により,法律の専門家ではない国民の皆さんが裁判に参加し,国民の皆さんの感覚が裁判の内容に反映されるようになります。そして,それによって,国民の皆さんの司法に対する理解と支持が深まることが期待されているのです。」

と書かれています。
この説明文だと

「法律の専門家だけでやってる裁判は国民の皆さんの感覚が反映されておらず、身近ではなく、理解されておらず、支持されておらず、信頼されていない」

から「裁判員制度」を導入することになりました、と言ってるようなもんな気がするんですがいいんですかね。
まあ流石にそれは極論だとは思いますし、自分もそこまで思っちゃいませんが、それでも時に重大事件の判決に対して「軽くね?」と思うようなことがないとも言いません。「重くね?」の方は軽犯罪的な方向ではあるかな? それもまあ、「テレビの向こうから事件を眺めてる」人間の感想にしか過ぎませんが。

まあとにかく、私はこの辺の政治的理由についてまったく詳しくないので(気がついたら「裁判員制度」導入が決定してたよビックリ! って人の数→(1))、導入に当たっての理由が建前上のことなのかどうかはわからないのですが、「裁判員制度」の是非を議論する上で外せない理由ではあると思うのです。もし建前として出してきているのだとしたら余計に。
これが右京さんのいう「一方そのように、一般の人々の感情を無視してきたからこそ、裁判員制度が導入されることとなったのではありませんか」というセリフ、「被害者遺族感情」が帰納される地点だと思います。一般の人々の裁判に対する「理解できない」「支持できない」「信頼できない」という感覚が即イコール「被害者遺族感情」を無視してきたからというわけではありませんが、それでもやっぱり、一般人だからこそ、法律の難しいことはわからんがそれはなるべく優先させてあげたいよなあと思うもの代表なんじゃないかなあと思うのです。これが、導入賛成方面の意見。

それに対して、導入反対方面の意見で一番の問題点として私たちが受け止めているであろうことは、「シロウトが参加した結果冤罪を作り出したら、そうでなくとも適切な刑罰を与えられなかったらどうしようか」これではないかと。これがイコール、「冤罪の被告人」の帰納される部分ではないかと。

ラストの右京さんと三雲判事のやり取りでは

 「裁判員制度導入のメリット」「被害者遺族感情」倉品翔子右京さん

 「裁判員制度導入のデメリット」「冤罪の被告人」塚原三雲判事

というラインが出来上がっていました。見ている人にも、両者の主張が非常にわかりやすく理解できたんではないでしょうか。

さて、このやり取りですが、あれだけ作中で執拗に「一般人が裁判員として裁判に参加するが故に発生したゴタゴタと裁判員をやることで自身にこうむる不利益」が描かれていた上に、現実に自分が裁判員として参加するであろう事と照らし合わせて考えてみると、両方の言い分共が正しいと思えても、それはそれとして、やはり見ていた人の多くは大なり小なり三雲判事寄りの気持ちを抱いたのではないでしょうか。「自分たち一般人には、そういうものは荷が重い」「判断を間違うかもしれない、公正な審判なんて出来ないんじゃないか」「めんどくさいし」「裁判員にはなりたくはない」と。そして「裁判は裁判のプロに任せるべきだ」と。その気持ちをなんと呼ぶのか、その気持ちの正体こそが、その職業に従事する人に対する「信頼」そのものではないのかと思います。もちろんこれは相当悪い方の「信頼」ではあるんですが、例えどんな理由であろうとも「お前にだけは任せておけん、代わりに俺がやる」の対極にあるものではないのかと。

作中で右京さんは「僕は警察の人間として、冤罪を作った場合の責任は背負っていく覚悟が出来ているつもりです」と、三雲判事に言います。まさについさっきの事件で警察によって冤罪が作り出されようとしていただけに、そしてそのせいで裁判にまでもゆがんだ影響を与えそうになるところだっただけに、軽々しくは口に出来ない言葉ですが、それでも、右京さんは臆せずに真直ぐと発言します。
それを受けた三雲判事もまた、作中で何度も何度も、人を裁く仕事に就く人間として、その「覚悟」を説いていました。

1時間54分付き合った人なら、今回の話がえっらいクソ真面目に「『裁判員制度』について『考えて』みてください」と、訴えかける内容だったことがわかると思います。製作者側の意図は間違いなく「『裁判員制度』について『考え』させること」でしょう。しかし、ただ投げっぱなしに「『考え』させる」というだけではなかったと思います。そこにも、ちゃんと方向性やメッセージみたいなものが盛り込まれていたと思います。

ラストに右京さんは「その可能性を信じてもいいと思いますよ」といいます。

「裁判員」はシロウトです。これは当たり前です。プロの「裁判官」にはないものを裁判に導入するために始める「裁判員制度」なのですから、「シロウト判断で誤った結果を導き出すかもしれないこと」がデメリットであっても、「『裁判員』はシロウトである」こと自体や「『裁判員』がプロのように法律を理解していないこと」はまた別の話、それらが原因でそういうデメリットが出るかもしれないという話であって、その部分は切り離すことが出来ない以上、「裁判員」の感覚や法律に対する理解度は「シロウトのままであってもよい」と考えなければならないと思います。

では、「裁判員」であっても、シロウトであってもクロウトと同じぐらいのものを求められる部分とは、「シロウトのままであってもよい」ということが許されないと定義されていたものはなんでしょう。それは作中で、何度も繰り返し、右京さんや三雲判事を通して描かれ、説かれていたと思います。「覚悟」ですね。

「自分の立場や権限によって人の人生を左右することの責任の重さや苦さ」、シロウトである私達にはあまり知る機会はないかもしれません。「裁判員」にでも選ばれない限りは。
しかし、知らなくとも『考える』ことはできるでしょう。
ドラマを通してでもいいから、さまざまな「裁判員制度」についての問題点を少しでも知ってちゃんと認識して、そして、「裁判員制度」について向き合って『考えて』、人を裁くことの「覚悟」をした人が参加する「裁判員制度」なら、「その可能性を信じてもいいと思いますよ」と右京さんは言っていたのではないでしょうか。

でで。
なんせ1時間50分(笑)ですから、「裁判員制度」にたいして『相棒』である部分はたしかに少ないと感じてしまいますが、残り4分が『相棒』としてめちゃくちゃ見たいものだっただけに、いいんじゃね、「裁判員制度」部分だって面白かったし、ああいう皆が皆悪い方向に走って「裁判員制度崩壊」って痛烈な展開はなかなか『相棒』らしいとも思うし、というのが感想です。ネタ振り1時間50分という大胆なのも実に『相棒』らしくて良いです。今シーズンも初回から良いものを見せてもらいました。


おまけ追記。

基本的には「いらない子」状態だった亀山ですが、実は、右京さんと三雲判事の後ろで怖い顔をして睨んでるだけだった亀山はアリじゃね? とか思いましたのですよ。
というのも、法律の専門家同士がああやって言い争ってたら一般人としては口出しなんて出来ない(出したところで浅い知識の立たない弁で反論しても結局は一蹴されるだけでしょう)、最後はもうあの時の亀のように睨んでるぐらいしか出来ないよなあと、それもまた一般人代表の亀というひとつの役割なんじゃないかなあとか、そんなことも感じたのでした。

サブタイトルの「複眼の法廷」。
ストレートにそのまま、裁判官だけでなく国民の皆さんの目も取り入れて、ひとつの事件を複数の目から裁判を行う「裁判員制度」のことと、「裁判員制度」問題を論じるにおいて、私達は「裁判員」になる可能性も「被害者遺族」になる可能性も「被告」になる可能性もあるよ、という様なニュアンス的なことなのかなあと思ったり。

というのも、今回のゲスト登場人物が、えらく意図的に誰にも肩入れできないように、心情的、感情的に共感したりしないように、かといって過剰に憎んだり嫌悪感を抱いたりもしないように、バイアスが掛からないように設定して描かれているなあと感じまして。それが今回、この話で感想のような考察? のような微妙な駄文を書いてみようかなあと思った動機だったりしたのです。

「被告」である塚原は冤罪でした。
物語の始めから、犯人こそ伏せられていたものの視聴者には明らかに「冤罪でしょ」とわかるように描かれていました。ですが、冤罪である塚原に対する描写や設定からはどうやっても「冤罪かけられてカワイソス」だとか「自分を裁こうとする人間全てが信じてくれない不条理さや悔しさ」みたいな感情が湧き出るようには描かれていません。
塚原は一般人設定ではなく銃の売人でした。出所後も銃器売買に手を染めていました。辞めようとはしていたみたいですが自分から積極的にというわけではなく、殺された警官に対しても恨みはあってもそれ以外のものはない、という感じでした。それでも、全く信じてくれる人がいないという環境なら肩入れする気になってしまったかもしれませんが、塚原には女がいて、彼女は塚原を信じ、その性格などもよく理解している様子でした。

一方、「被害者遺族」である倉品翔子は「裁判員」も兼任していました。
公平でなければならないはずの「裁判員」としては私情に振り回されすぎているように見え、では「被害者遺族」としてはというと、今行われている裁判である殺された警察官とは赤の他人、死んだ赤川裁判員との関係は設定的には元上司と部下、描写は赤川裁判員との関係が判明した時の「今の自分があるのは、全て赤川さんのおかげなんです」というセリフとその時の涙、それだけです。それまでの様子からもそのセリフや涙からも、おそらく倉品裁判員にとっては赤川裁判員とは、具体的なことはわからないけれども大切な人だったんだろうなあと、確かにそんな人を亡くしたら平静ではいられないかもしれないなあとは思えても、でもそれ以上の肩入れを出来るようには描かれてはいませんでした。

その他の、登場人物も同じような感じです。
辰己刑事にはノルマ、有動刑事には研修時代お世話になった警官仲間が殺されたという気持ち、田部井記者にはスクープをものにしたいという気持ちという、それぞれなりの理由もありつつ、その行動には同情できないという形になっていました。まあ、ここら辺の人間はそもそもが脇役ですけどね。

そして、三雲判事。
彼は今回の物語のある意味主役であり、他のゲストにはない、特別な役目が割り振られています。右京さんと互角に渡り合う相手、という。そして、そのことに遜色ないプロフェッショナルな強敵として説得力のあるように描かれていました。倉品裁判員を諭す姿、マスコミの前でテレビの前の人間に問いかける姿、ラストの右京さんとの対峙。どれも実に立派なものでした。
しかしだからといって完全に彼に肩入れしてしまわないように、それでいて、今回起きた騒動と一切無関係な振り回される側の人間だったということにもならないように、彼にもひとつだけ「灰色」の部分が仕掛けられています。例のフリーメールの件ですね。ですが、その事で彼の主張が間違っていると判断されても困るわけで、故に今回の話の中では「灰色」です。裁判は推定無罪です。今回の話の右京さんの互角のライバルなのですから、「右京さんがそういってるから」なんて理由で彼はプロとして犯してはいけないことを行ったので彼の主張は間違っている、などと判断してはいけません。現時点では無罪ですね。再登場はあるんでしょうか。もう一度右京さんとの対決(協力でもいいんですが)を見て見たいところですが。

さて、誰にも感情移入出来ないように描かれているということはどういうことか。
つまり、公平に見てくれ、ということだと思うのです。
どこにも肩入れできないということは、つまり特別何かに引きずられることなく、どの視点からでも自由に見ることが出来る、考えることが出来るということなのですから。

「裁判員制度」を論じる上において、どうしても私達はまず一番に「裁判員」になったらどうしようとか、あるいは、これまでと同じような一般人としての位置から同じ一般人である「裁判員」の判断を「信頼」できるんだろうかと疑ってしまいがちです。
しかし、私達には、繰り返しになりますが、「裁判員」になるよりは低い確率でしょうが(というか、低い確率であってほしいんですが)、「被害者遺族」になる可能性も、「被告人」になる可能性もあるんです。

「被害者感情に偏ってはいけない」という言葉は、実際の「被害者遺族」として簡単に納得できるような言葉でなのでしょうか。
「法律の専門家ではない国民の皆さんが裁判に参加することにより、国民の皆さんの感覚が裁判の内容に反映されるようになります」という言葉は、シロウトに裁かれる「被告人」として簡単に納得できるような言葉なのでしょうか。

いずれどこかで納得し、あるいは納得できなくとも折り合っていかなければならないものだからこそ、簡単に切り捨ててはいけないもの、何度も心のうちで悩み、考え、問いかけていかなければならないものなのではないでしょうか。自分だったら、と。

「被害者遺族」からとしての視点。
「被告人」からとしての視点。
「裁判員」からとしての視点。
そういう、「複眼」の法廷というサブタイトルなのかなあと、思ったのでした。

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