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season4のDVDと櫻井脚本と輿水脚本と

ヽ(´ー`)ノシーズン4のDVD、発売日にちゃんと買いましたですよ。

シーズン4はつい最近関西でも平日昼前頃に毎日再放送をやっていて、上手く休みのタイミングが合った日とかは見たりしてたんですが、やっぱりこう、DVDで見れるというのはまた違った利点があって良いですね。具体的に言うと家族気にせずいつでも好きな時間に部屋で一人落ち着いて見れるとか。ビデオに録画して何度か見た話であっても、改めて見返すと色々発見することや考えさせられることがあって面白いです。


女優」の回の再放送を見たときに、固定観念にとらわれずに真実を追求する右京さんと、真相判明で犯人や事件の印象が変わるのが輿水さんの描く『相棒』だなあと思ったのですが、事件自体も犯人なり被害者なりもなにも変わらないのに、特命が事件を解決することによってそれを取り巻く周辺の人々の方が変わっていくのがシーズン4の櫻井さんの描く『相棒』だなあと思ったのでした【*1】

例えば、「殺人ヒーター」の小柳津桐子は、「正義感が融通の利かないぐらい強い42歳負け組OL」という人物像も彼女の企業の対する行動の意味合いも何も変わらないのに彼女はヨツバ電気の「英雄」になりましたし、「最後の着信」の脇幸太郎は、彼の「憎めない大阪の兄ちゃんだが薬物に関わる犯罪に手を出していた」という冒頭に提示された人物像は変わらないままだったのにもかかわらず彼は彼が想いを寄せた女性に軽蔑されてしまいますし、「告発の行方」では、死んだ堂島が書いたルポの「大臣の不正を告発する社会派の記事」という内容は変わらないままなのに、編集長は喜んで雑誌に載せることになりました。
冤罪」なんかは、そういう「情報の提示の仕方によってものの見え方なんていくらでも変わる」という事自体を主題としてましたですね。この話は個人的にひっそりと『相棒』版『藪の中』と呼んどりますが、最終的にたどり着くのが『藪の中』や『羅生門(映画の方の)』のような「真実のわからなさ」とか「人間の自分勝手(というと語弊があるかな? いわゆる人の業というやつですね)さ」とかではなく「警察が怠慢だったり警察に自浄作用がなかったりしたら事件が『藪の中』になるんだよ!」というあたりがたまらなく櫻井脚本らしくて良いですなw。

で、肝心なのは、輿水脚本にせよ櫻井脚本にせよ、そういう「見え方が変わる」ことだけじゃなくて、(いや、そこも十分面白いんですが)その変化具合のニュアンスというのか、ため息が出そうなぐらい苦味やら毒やらやるせなさやらやりきれなさやらが伴った絶妙な味の「そういう風に変わるかー」というところが、魅力的なんだなあと思った次第でした。後味の悪い話、大好きです(笑)。

【*1】シーズン4でも、「七人の容疑者」だけは、あれは楽しみ所が、最終回1話前の話が「スタッフが原因で最終回はお蔵入り」という『相棒』の制作現場の時間の無さを皮肉なんだか自虐なんだかしてる所なんでちょっと特殊でしたが。

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